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柳が風に吹かれて揺れている。
弟子が、師に聞く。 「動いているのは、柳ですか。それとも風ですか。」 すると、師は、そちらの方を振り向きもせずに答える。 「揺れているのは柳でも風でもない。揺れているのはおまえの心だ。」 映画は、この禅問答のようなシーンから始まった。 自分の心を支配するのは、環境ではなく、自分自身だ。 だが、日々の生活を振り返ってみると、私は、そよ風にさえも揺すぶられている。 昨日の「研修」がそうだった。 私たち、研修者の自尊感情をくすぐる講話に上手く乗せられ、選ばれた人間のような錯覚に陥った。 昨日は、珍しく、職場に戻らずに直接娘を迎えに行き、帰宅した。 今考えるとと、これが幸いだった。 あの講話を聞いてから、映画を見るまでに出会った知人といえば、家族だけだ。 ブログへのコメントもしていない。レポートも書かなかった。 家族なら、私がどんなに横柄な顔をしていても許してくれるだろう。 明日は、日曜参観だ。 今日、「甘い人生」を見なかったら、管理職面して出勤したに違いない。 スクリーンには、やたらに迷路のような回廊が出てくる。 まるで、これが人生だと言わんばかりに。 そして、話しは、予告編などで既に知ってしまった部分にまで展開する。 後は、たった一度の判断の誤りで、ソヌが転落していく様をこれでもかこれでもかとたたみかけてくる。 台詞のほとんどが、「なぜ」 見る側も、否応なく「なぜ」と考えさせられる。 そして銃声。さらに、その後に聞こえる、小さな金属音。 人の体を貫通した銃弾が硬質なものに当たる音か? 高校生の時、新興宗教に凝った母親から、合宿に連れて行かれたことがあった。 夜、太鼓の音が鳴り響く中で、お題目が唱えられていた。 その時、私は、なぜか、わずか10数年の人生を反省しながら号泣したのを覚えている。 数日後、熱が冷めた私は、「これ以上、足を踏み入れるべきではない。」と思った。 私は、母のように、自分の生活を大事にしながら、上手く宗教と付き合っていくことは出来ないだろう。 その、銃声を繰り返し聞きながら、私は、「なぜ」を自問自答し続けた。 銃声が、あのときの太鼓の役割をしてくれたのだろう。 私は、自分の心の針が、今、自信過剰の方に大きく振れていることに気づいたのだ。 私はこれまで、心の針を自分で調整しながら生きてきた。 自信過剰の時は自分を戒め、自信を喪失した時には自分を鼓舞してきた。 そして、ここ数年は、鼓舞しなければならないことが多かったから、つい、戒める作業を忘れてしまっていたのだろうか? ここまで来たら、後はもう、あの、高校生の時のように、自分の人生の様々な場面を次々に悔いるだけだ。 しかし、今回は、なぜか、教職人生ばかりを反省していた。 私は、土を相手にする農業やものを作る製造業に従事しているのではない。 人間を相手にしているのだ。 しかも、思春期という人生で最も大切な時期を生きる人間を。 私が、教職に就いた時、「金八先生」がブレイクしていたが、私は、どうしてもあのドラマになじめなかった。 生徒にとって、ただ通り過ぎるだけの先生になりたいと思った。 元々、他人の人生を左右するような教師になれるはずもなかったし、また、そんな教師は、本当はどこを探してもいないのだ。 居るとすれば、それは、生徒と教師の勘違いだ。 だって、「揺れているのは柳でも風でもない。揺れているのは自分の心。」なのだから。 しかし、他人の人生そのものは左右できなくても、ある一瞬一瞬には大きく関わることのできる位置にいることは間違いない。 現に、生徒を動かすために、私たち教員は、事前に何層もの仕掛けや網を張り巡らすのだし、生徒は、そのことを知らずに、「自分たちがやった。」と満足しているのだ。 この繰り返しが、私たちの仕事。 たとえ、それが生徒のためであったとしても、何かを仕組むという行為そのものは、人間として不遜過ぎはしまいか。 仕掛けたことが成功した時、私は、人の感情の動きに荷担したことを悔いなければいけなかったのに、そうするどころか、成功に酔いしれてきたのだ。つい、最近もそうだった。 スクリーンを見ながら、こんな事を考えていた。 涙が、後から後から溢れて仕方なかった。 そして、エンディング。 傷ついたソヌが、最後まで戦うことを決心し、自分を鼓舞してシャドーボクシングをしている。 ああ、私も、こうして頑張ってきた。 「辞めたい」と思った時に辞めたら、一生負け犬で終わってしまうから、「辞めたくない」時に辞めようと決めた。 それが私の30代だった。 肩の力が抜けたのは、40を過ぎてからだ。 そして、私は、昨日45になった。 私は、自分の誕生日に、これまで自分が嫌悪してきた人間に成り下がっていたのだった。 しかし、そこからわずか半日で抜け出すことが出来た。 「甘い人生」という映画のお陰で。 映画館の中で、一人号泣している私を見て、人はイ・ビョンホンが死んだからか?と、思ったかもしれない。 しかし、イ・ビョンホンが出ているとか、そうでないとかは、私にとって、もう、どうでも良いことだった。 この映画を見るために、私は、何かの導きで俳優イ・ビョンホンのファンになったのかもしれない。そう、思えてきたのだった。
by peko55665
| 2005-04-23 23:45
| 甘い人生
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